【新型コロナウイルス感染症対策について】

Bar IRORIでは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大防止の対策といたしまして、状況の改善がみられるまで当面営業を休止します。また5月に予定していましたYAMABIKO MUSIC FESTIVALは中止します。

グランピングBase Campは営業を続けますが、当面の間キャンセル料金を無しにします。体調が悪い、出かけるのが心配など、不安を感じていらっしゃる方は遠慮なくキャンセルを申し出てください。ただし、宿泊当日に連絡なしでキャンセルされた場合は、規定通り宿泊料金の全額をお支払いただきます。

何卒ご理解、ご協力を賜りますようお願い申しあげます。

株式会社 上勝開拓団
代表取締役 仁木啓介

上勝開拓団クロニクル①「移住」

僕が暮らしているのは徳島県上勝町という周囲を山に囲まれた小さな町。
人口はわずか1500人ほど。スーパーもコンビニもない少子高齢化が進む過疎の町です。

神戸で生まれ、大学から東京に出て、卒業後は憧れていたテレビ業界へ。
ディレクターとして二十数年東京で働き、
2012年4月、44歳の時に上勝町に移り住みました。

移住のきっかけはテレビ番組の取材でした。
上勝町はおばあちゃんの葉っぱビジネスと言われる『いろどり』や
ごみゼロを目指した『ゼロ・ウェイスト運動』など、
地域活性化の先進地として知られています。

2009年、僕は会社のプロデューサーから「徳島にごみゼロを目指している町があるから取材して来て」と言われて、初めて上勝町を訪れました。
そしてこの時、僕の人生は大きな転換点を迎えたのでした。

ゼロ・ウェイストの取材が面白かったこともありますが、町で出会う人々が言葉で言い表せないほど魅力的でした。あの時の高揚感は今でも心の奥に残っています。

「また遊びにきいよ」

そんな言葉を真に受けて、休みを作っては上勝を訪れるようになりました。最初は飛行機で来ていたのですが、東京に帰った時のギャップがあまりにも大きく、もう少しのんびり帰るために車で通うようになりました。10時間高速道路を走りながら上勝町のことを思い出し、再び始まる東京での暮らし、テレビの仕事へ気持ちを切り替える。そのくらい東京と上勝町は別世界でした。

上勝町の何がそれほど魅力的だったのか?
テレビというメディアで伝えることを仕事にしてきたのにもかかわらず、
これは簡単に伝えることはできませんでした。東京の知人にもいろいろと話をしましたが、出来事や人の面白さは伝わったとしても、その真髄にある部分は伝わらないのです。

そこで大学からの友達を誘い、二人で上勝町に遊びに来ました。なにが面白いのか、半信半疑だった彼は、上勝町に来て2日後、役場に行って空き家情報を聞き、そのまま上勝町に移住をしてしまいました。

僕が上勝町に移住したのはその3年後です。その翌年、友達は東京に戻りました。
人生って面白いなぁ、とつくづく思います。

僕と友達はそれぞれ上勝町に違った魅力を感じていました。
僕は上勝町の自然やエネルギッシュな人々、小さく濃密なコミュニティに魅力を感じました。
友達は自給自足のような生活をしながら、趣味でアートを制作する仙人のような人の生き方や考え方に惹かれたようです。

なぜ、上勝町に移住したのか?
今までいろんな人から何度も聞かれた質問です。
僕はこれまで「上勝町の人々が魅力的だったから」と答えてきました。
もちろん嘘ではありません。
でも、それだけでは移住はしなかったと思います。

僕が東京での仕事や暮らしを捨てて上勝町に来た本当の理由。
それは「僕が人生に何を求めているのか」
ってことなんじゃないかと思います。

僕が求めていたものが上勝町で感じられたからこそ、
あれほどの高揚感があったんだと思います。

「僕が求めていたもの」

自分でもそれが何かよくわかっていなかったんですが、
上勝町で8年暮らし、ようやくはっきりしてきました。

『自由』

それは高校生の頃から、僕がずっと求めていたものでした。
僕の求めていた『自由』が上勝町にあったのです。

…つづく