開拓団はなぜ、どぶろく造りを始めるのか?

みなさん、どぶろくって知っていますか?
開拓団は若いスタッフが多いのですが、聞いてみたら誰も知りませんでした。

どぶろくとは日本酒の醪(もろみ)を濾していないもの。濁酒(だくしゅ)ともいいます。

どぶろく – Wikipedia

 

日本酒は米と麹からできています。昔はお米を作っている農家さんなら普通に家でどぶろくを造っていたそうです。しかし、明治になり酒造税が制定されると個人での製造は禁止に。酒類製造免許を持たずに製造すると10年以下の懲役、もしくは100万円以下の罰金と定められました。しかし、古来から豊作を祈願して神様にお供えする風習があったり、農家の伝統的な食文化だったこともあって、農家が隠れてどぶろくを造ることは密かに続けられてきました。

そんなどぶろくを上勝開拓団で造ろうと計画しています。

僕が初めてどぶろくを飲んだのは遥か昔、テレビ番組のディレクターとして日本各地を回っていた時でした。とある町の居酒屋でのことです。カウンターに座り、地元の酒と肴で一杯やっていました。すると少し離れた席のおじさんがおもむろに背後の棚を開け、ラベルのついていない一升瓶を取り出しました。コップに注いだその液体はうっすらと白濁しています。隣にいた客にもその酒を注ぎ、二人で美味しそうに飲み始めました。

「美味そうな酒だなぁ…」

声には出していないはずですが、そんな心の声が届いたんでしょう。

「にいちゃん(当時は僕も若かった)、これ飲みたいか?」

「えっ、あっ、はい!それ、なんですか?日本酒?」

「(声をひそめて)これか、これはどぶろくよ」

「どぶろく?」

「そう、俺が家で造っている酒よ。でもな、これは公にはできんのや。だから売るわけにはいかん。無料でサービスや」

 

店主らしき人は、そんなやりとりをにこやかに聞いています。

僕はコップに注いでもらったどぶろくという物を初めて飲みました。

 

「!!」

 

最初に感じたのは微かな発泡性。酸味の中にドライな口当たり。日本酒にありがちな甘ったるさはほとんど感じません。とにかく微発泡がいい。クイクイいけるので、あっという間に飲み干してしまいました。

 

「お、いける口やな。どうや俺の酒は?」

「美味いです!こんな酒初めて飲みました」

「そうか、美味いだろ。もっと飲むか」

 

それからどぶろく造りの話で大いに盛り上がりました。どぶろくは昔から家で代々造ってきたこと。今でも造っている農家は何軒もあること。売っている日本酒も美味いが、自分が育てた米から造るどぶろくは格別だということ。おじさんの農家としてのプライドをひしひしと感じました。

翌朝、おじさんの家を訪ねてどぶろく造りを見せてもらいました。案内されたのは座敷。そこには大きな桶が一つ置いてありました。

 

「これだけですか?」

「そう、この桶に米と麹と水を入れて、あとは1日1回、腕を綺麗に洗って手で中をかき混ぜるだけ」

「そんなに簡単なんですか?」

「誰でもできるよ。ただ、お酒の種が必要なんだけど、種は分けてくれる人がいるからな」

 

お酒の種は今考えると酵母のことだったんだと思います。日本酒用の酵母は免許を持っている人しか手に入れることはできません。簡単に作るならパン作りで使うドライイーストでもいいそうです。おじさんはどぶろく造りのレシピまで教えてくれました。

いつか自分でどぶろくを造ってみたい。
そんな想いが僕の心の中に芽生えました。

 

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その後、東京でテレビの仕事をしながらも、僕は田舎で暮らすことへの興味が膨らんでいきました。そんな時に出会ったのが、今暮らしている徳島県上勝町です。最初はテレビの取材で訪れ、完全に一目惚れして移住。テレビディレクターを辞め上勝開拓団という会社を作りました。(この辺りの経緯は『開拓団クロニクル』で書いていきます)

 

実際に上勝町で暮らし始めて「面白い」と感じたのは、どんなものでも自分の手で作ろうとする精神。農作物はもちろん、美味しい料理、道具、お祭り、イベント。都会のように何でもお金で手に入るわけではありません。だから自分たちが欲しいものは自分たちの手で作る。そんな作り出す時間が楽しいのです。そこで上勝開拓団のコンセプトは「日本一楽しい村を作ろう!」に決めました。

町内の年配の人にどぶろくのことを聞いてみました。

「そりゃ、昔はどこの家でも造っとったわ。山の中に甕(かめ)が埋めてあってな、よう親父に汲みに行かされたわ」

山の中で造っていたのは、どぶろくを造っていることがバレると税務署の役人が来て罰金を払わされたり、せっかく造ったどぶろくを全て廃棄されるから。隠れて造ったいたどぶろくは、時代とともに消えていったといいます。

どぶろくは造りたいが、違法行為をして捕まるわけにはいかない。やはり自分でどぶろくを作るのは無理なのか?そんなことを思っていた時、びっくりするような話を聞きました。

 

「上勝町は構造改革特区の『どぶろく特区』を取っているから造れんことはないよ」

 

構造改革特区とは小泉内閣の規制緩和政策として始まったもので、地域の実情に合わせて特別に規制緩和をすることによって地域活性化を図る制度です。『どぶろく特区』では『農家』が自分で育てた米を使ってどぶろくを製造し、自分が経営する『農家民宿』や『農家レストラン』で提供したり、販売したりができるのです。町内に農家民宿は何軒かありますが、この『どぶろく特区』を使っているところはありませんでした。

この制度を使えばどぶろくは造れる。でも、僕は農業はまったくの素人です。お米どころか家庭菜園のトマトですらろくに作れません。上勝開拓団では映像制作やバーやグランピングなどの事業をやっていて時間もない。

スタッフに相談したら「無理ですね。そんな余裕どこにあるんですか?」と言われました。どぶろく造りは一旦胸にしまって「仕事を引退してから、老後の趣味でやってみようか」そんな風に考えるようになっていました。

 

昨年秋、ある事件が起こりました。
上勝開拓団では地元の農家さんから棚田で作ったお米を買わせてもらっています。その田んぼは僕の家から会社に行く途中の山にあり、蛇紋岩(じゃもんがん)という米作りに適した土壌。とても美味しいお米でした。春から秋にかけては会社に向かう車の中から美しい棚田を見るのが楽しみでした。

その農家さんが、これからお米の収穫という時、事故で亡くなってしまったのです。

収穫作業は集落の人たちが手伝って終えましたが、いい米が取れなかったそうで、そのお米を食べることはできませんでした。奥様は自分一人で田んぼをやることは無理だから、米作りはやめようと思っていると言いました。

 

収穫を終えた田んぼ。
いつも笑顔で挨拶していた農家のおじさんはいない。
秋から冬。
冬から春。
そんな田んぼを眺めながら毎日会社に向かいました。
この田んぼに水が入り、
美しい稲穂が揺れることはもう無いのかな。
そんなことを思いながら。

そして、新型コロナウィルスの感染拡大。バーやグランピングは大きなダメージを受けましたが、なんとか持ちこたえました。これを機会にもうちょっと先のことを考えて事業内容を見直し、スタッフを増強しました。

上勝開拓団、現在もスタッフ募集中です。

この町で、自分たちの手でできることを増やし、楽しみを作っていきたい。
上勝開拓団という社名に込めた想い。
僕は休耕田になるという田んぼを、どうしても自分の手でやりたくなっていました。

その気持ちをスタッフに伝えると、

「ダメって言っても、どうせやるんでしょ」とクールな一言が。

「はい、やります!」

 

ということで、
今年から上勝開拓団では米作りを始め、どぶろく製造に挑戦します。
まだ酒類製造免許も取れていないので、正直どうなるか分かりません。

でも、自分たちで造ったどぶろくで大宴会をやりたい!
そんな最高に楽しい日を目指して頑張ります。

ここが今年からお借りした棚田。
5月23日(日)には田植えイベントもやります。
詳細は近日公開します。

けいちゃん
兵庫県神戸市出身。大学から東京へ。テレビ番組製作会社のディレクターとしてドキュメンタリーやドラマのディレクターを務める。2012年、番組の取材で出会った上勝町に移住。2014年、株式会社 上勝開拓団を立ち上げ、映像制作、イベント運営、バー、グランピングなどの経営を行っている。趣味は美味しいものを食べながらお酒を飲むこと。

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